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法解釈~軽微なたき火とは?



野焼きの禁止に関して、必ず問題となるのが解釈の問題です。

廃棄物処理法では、焼却禁止の例外規定について、次のように定められています。

 

第16条の2(焼却禁止の例外)

何人も、次に掲げる方法による場合を除き、廃棄物を焼却してはならない。

三 公益上若しくは社会の慣習上やむを得ない廃棄物の焼却又は周辺地域の生活環境に与える影響が軽微である廃棄物の焼却として政令で定めるもの

 

政令第14条

四 農業、林業又は漁業を営むためにやむを得ないものとして行われる廃棄物の焼却

五 たき火その他日常生活を営む上で通常行われる廃棄物の焼却であつて軽微なもの(以降簡略し「軽微なたき火」とします)

 

では、「軽微なたき火」とは何なのか?

 本題に入る前に、事例1について法学道場より引用・要約し、考察します。

 

<事例1>

 公園の立て看板に「車は立ち入るべからず」と書いてありました。

 では,車椅子?乳母車は?

 

 法解釈の方法として、以下のものが考えられます。

 ①文理解釈

 ②拡張解釈と縮小解釈

 ③類推解釈と反対解釈

 

 

① 文理解釈

条文の文字をそのまま素直に読んで意味をつかもうという解釈

「自動車は立ち入ってはいけない」

 

②-1 拡張解釈

言葉の意味をいくらか広げて読もうという解釈

「自動車に限らず自転車や一輪車も含む」

 

②-2 縮小解釈

言葉の意味をいくらか狭めて読もうという解釈

「自動車の中でも四輪自動車のみ,二輪車などは含まない」

 

③-1 類推解釈

似たようなものなのだから同じ結論になるように考えようという解釈

「ホバークラフトも車と似たようなものなのだから,ホバークラフトも立ち入り禁止」

 

③-2 反対解釈

条文に書いていないことは,反対の結論に考えようという解釈

「自動車以外は何でも立ち入ってもよい」

 

 

では、どのようにしてどの解釈を選ぶかというと、立法者意思と目的論的解釈から考えます。

 

 立法者意思

  立法者は何らかの政策を実現したいからこそ,その法律を作った

 

 目的論的解釈

そもそもその法律はどのような目的を達成しようとしているのか,どのような趣旨なのかという観点から考えようという方法

 

立法してから時間が経過している場合,立法者が想像もしなかった問題が発生している問題については,立法者の意思は参考になりません。

目的論的解釈=趣旨からの解釈が,法解釈の基本です。

解釈においてバランスを考慮し、結論の妥当性や解釈の論理性も必要です。

 

<事例1>について考察すると、子供の安全を守るという目的に照らすと、子ども達にとって危険なものはなるべく立ち入りを禁止したいところです。できる限り「車」は広く解釈したほうが子ども達の安全は守れそうですから、縮小解釈よりは拡張解釈が妥当でしょう。

 ただ、あまり広く解釈すると、車椅子や乳母車もダメなのかという問題も出てきます。子ども達に危害を生じるおそれはありませんので、これらは含まないという解釈になりそうです。

 


ここから本題です。

「軽微なたき火は焼却禁止の例外である」とは?

 

「軽微」については後に考察するので、まずは「たき火」について考察します。

 

①文理解釈

たき火をデジタル大辞泉(小学館)で検索すると、

1 戸外で集めた落ち葉や木片などを燃やすこと。また、その火。

2 明かりや暖をとるためなどに薪を燃やすこと。また、その火。

と書かれています。

意味が二通りあるので、ここでは判断できません。

 

②-1 拡張解釈

意味を広げて解釈すると、

「落ち葉や木片ならば燃やして良い」

となります。

 

②-2 縮小解釈

意味を縮小して解釈すると、

「明かりや暖をとるためなどに薪を燃やすのは良い」

となります。

 

③類推解釈と反対解釈については該当例が思いつかないので省略します。

 

拡張解釈をとるか、縮小解釈をとるかですが、立法者意思と目的論的解釈が重要になってきます。

 

廃掃法の目的は、

「廃棄物の適正処理をもって生活環境を守ること」

です。

 

環境省は法の施行に際し、次のような通達を出しています。

 

厚生省環784号

廃棄物の処理及び清掃に関する法律の施行について(昭和46年10月16日)

(概要)現状に即応した廃棄物の処理体制を確立し、もって生活環境の保全及び公衆衛生の向上を図ることとするものである。

廃掃法は、公害対策基本法その他の公害関係諸法、地方自治法、保健所法等との関連が極めて密接であるので、法の施行にあたっては、これらの諸法との関係を十分に考慮し、万全を期せられたいこと。

 

廃棄物の適正処理と生活環境の保全については他にも通達が出されています。

 

環廃対発第080619001号

廃棄物の処理及び清掃に関する法律第6条第1項の規定に基づくごみ処理基本計画の策定に当たっての指針について(平成20年6月19日)

・市町村の一般廃棄物行政におかれても、環境保全を前提とし、国民の安全、安心が確保されることを軸として循環型社会の形成のための施策を推進されたい。

・市町村は、一般廃棄物の統括的な処理責任の下、(略)当該市町村で発生するすべての一般廃棄物の適正な処理を確保しなければならず、その基本となるものが一般廃棄物処理計画である。

・市町村の処理責任は極めて重いものであることを改めて認識されたい。

 

 

環廃対発第 1410081 号

一般廃棄物処理計画を踏まえた廃棄物の処理及び清掃に関する法律の適正な運用の徹底について(通知)平成 26 年 10 月8日 

1.市町村の一般廃棄物処理責任の性格

市町村は、その区域内における一般廃棄物を、生活環境の保全上支障が生じないうちに廃棄物処理法施行令第3条各号に規定する基準(以下「処理基準」という。)に従って処理を行い、最終処分が終了するまでの適正な処理を確保しなければならないという極めて重い責任を有する。このため、仮に不適正な処分が行われた場合には、生活環境の保全上の支障の除去や発生の防止のために必要な措置を講ずることが求められる。

 

これらより、法の解釈には生活環境の保全が絶対条件であることは明らかです。

 

もとより廃掃法では、市町村はゴミの収集に関し、一般廃棄物処理計画を作成し、生活環境の保全上支障が生じないうちに収集し、これを運搬し、及び処分しなければならず(法第4条及び第6条)、市町村民はこれに従う責務(法第2条の4)が定められています。

一般廃棄物処理計画は市町村により異なりますが、ほとんどの場合、落葉や木片を一般廃棄物として適正処理する方法が盛り込まれています。当然、市町村民はこれに従わなければなりません。

 

廃棄物の適正処理をもって生活環境を守るという目的に照らして考察すると、

 

「落ち葉や木片は一般廃棄物として市町村の処理方法に従い処分し、明かりや暖をとるためなどに薪を燃やすのは例外とする」

 

と考えるのが妥当ではないでしょうか。

 

それでも、落葉焚きについては「昔からの営みだ」「秋の風物詩だ」という声は後を絶ちません。

 

そもそも、落葉って燃やすものなのでしょうか?

落葉と言えば「武蔵野の落ち葉堆肥農法」が有名です。

 

武蔵野の落ち葉堆肥農法とは・・・

武蔵野台地に位置する川越市、所沢市、ふじみ野市、三芳町は火山灰土に厚く覆われ作物が育ちにくい土地でしたが、江戸時代から多くの木を植えて平地林(ヤマ) として育て、木々の落ち葉を掃き集め、堆肥として畑に入れて土壌改良を行ってきました。

こうした360 年にわたり続けられてきた伝統農法を「落ち葉堆肥農法」とよびます。この「落ち葉堆肥農法」は今も受け継がれ、それにより平地林は各市町全域にその面影を多く残し、育成・管理されて景観や生物の多様性を育むシステムが作られています。

(三芳町ホームページより引用)

 

落ち葉は昔から貴重な有機質資源として再利用されてきました。

堆肥以外にも、温床(苗床)として利用したり、マルチングにしたりするため、山に落葉を集めに行く習慣が今も続いている所は多いです。

 

環境保全の責務と有機物資源の再利用は他の法律でも定められています。

 

環境基本法

第九条 国民は、基本理念にのっとり、環境の保全上の支障を防止するため、その日常生活に伴う環境への負荷の低減に努めなければならない。

2 前項に定めるもののほか、国民は、基本理念にのっとり、環境の保全に自ら努めるとともに、国又は地方公共団体が実施する環境の保全に関する施策に協力する責務を有する。

 

循環型社会形成推進基本法

第十二条3 前二項に定めるもののほか、国民は、基本原則にのっとり、循環型社会の形成に自ら努めるとともに、国又は地方公共団体が実施する循環型社会の形成に関する施策に協力する責務を有する。

 

バイオマス活用推進基本法

第十七条 国民は、基本理念にのっとり、(略)国又は地方公共団体が実施するバイオマスの活用の推進に関する施策に協力するよう努めるものとする。

 

廃掃法の施行にあたっては、「これらの諸法との関係を十分に考慮し、万全を期せられたいこと」と、前出の通達(厚生省環784号)にも記されています。

 

つまり、落葉等は有機物資源として再利用する責務、利用できない場合は市町村の処理方法に則って適正処理する責務が全ての国民に定められており、「再利用や適正処理が面倒くさい」「昔からやっていた」という安易な理由で落葉等を焼却処分する行為は、これらの責務を無視した、身勝手な行為と言わざるを得ません。

 

ところで、解釈にあたっては「軽微な」という点も重要です。

さいたま市ホームページによると、

 

「軽微な燃焼行為」とは、周辺の生活環境に支障がないものをいい、ばい煙や悪臭に対して近隣から苦情が寄せられるような野外焼却は軽微な燃焼行為とは認められません。

 

と書かれています。

 

落葉等を燃やした煙の何が問題なのでしょうか。

木片や稲わらなどのバイオマス燃焼による有害物質と健康被害の報告は多く発表されています。

 

 

2004日本アレルギー学会「稲作地域における環境因子と気管支喘息」萱場 広之 の論文

稲藁焼きで発生する刺激臭のある煙にはホルムアルデヒド、アセトアルデヒドの他、多くの揮発性物質が含まれており、周辺住宅地域での気道刺激を引き起こす可能性が示唆された

 

デンマーク/コペンハーゲン大学Pernille Høgh Danielsenらの論文 

バイオマスや木片の燃焼は、大気・屋内の粒子物質(PM)汚染をもたらし、たばこや電子たばこの有害成分である、多環芳香族炭化水素(PAH)が多く含まれ、DNAを損傷させる

 

 

ユニセフ『大気汚染の危険:子どもの脳の発達に及ぼす影響』

微小粒子状物質(PM2.5)を吸い込むことで、脳の細胞を損ない認知的な発達を妨げ、生涯にわたる影響または低下を及ぼす可能性がある。

汚染物質には、多環芳香族炭化水素のように、脳の中でも、神経細胞の伝達を助ける重要な役割を果たす部分、すなわち子どもの学習と発達の基礎となる部分を破壊し得るものもある。

 

 

野焼き煙害被害者の会には野焼きの煙害により多くの健康被害の報告が寄せられています。

多くは化学物質過敏症患者からの報告で、頭痛、倦怠感、咳、吐き気、鼻詰まり、目の痛み、気道の腫れ、肺の痛み、手の痺れ、思考の低下など症状は多岐にわたります。

 

PM2.5は目に見えない微粒子で、近隣で野焼きが行われると煙が見えなくてもその数値は基準値以上になります。

下の写真は家から100mほど離れたところで雑草等を燃やしていたものですが、家の庭で観測すると189μg/m3という基準値を大きく超える値が検出されました。

20180804

数値1

 

家の中にいてもうっすらニオイが入ってきて、頭痛や喉の痛みや倦怠感などの健康被害が出ます。窓を開けて掃除したり、洗濯物や布団を外に干せるはずもありません。

人口密度の低い田舎だからといって、生活環境に支障のない焚き火を行うことはほぼ不可能です。

つまり、庭で日常的に落葉や雑草を焼却する行為は、どう解釈しても「軽微なたき火」に該当しません。

 

「昔からやっていた」、「後から来た者は我慢しろ」というのは不当な圧力に他なりません。

日本国憲法第25条では健康で文化的な最低限度の生活を営む権利が保障されています。

もし、法律で落葉等を自由に燃やすことが認められているとするなら、それは憲法違反です。

不当な圧力から守るのが法律と憲法です。

 

だからといって全ての焚き火行為を規制するのはバランスを欠いています。

例えば、子供会の焼き芋大会やキャンプファイヤーなどは食育やレジャーの一環として認められるべきです。だからこそ、焼却禁止の例外が設けられたと考えるのが妥当な解釈と言えるでしょう。

 

(追記)

時代は今、新しい局面に入りつつあります。

2015 年 9 月 25 日、環境・健康・貧困・差別などに関する世界の政策として、第 70 回国連総会の場で「持続可能な開発のための 2030 アジェンダ」が採択されました。

このアジェンダは、持続可能な世界を実現するための17の持続可能な開発のための目標(SDGs)・169のターゲットから構成され、地球上の誰一人として取り残さない(leave no one behind)ことを誓っています。

この中で、廃棄物の適正処理、大気環境の保全、すべての人の健康を守ることなどが掲げられ、日本の重要政策にもなっています。

野焼きを認め健康被害が出ることは国連と日本の政策に反することになります。

 

<まとめ>

 

「軽微なたき火は焼却禁止の例外である」とは?

  • 法の目的は「廃棄物の適正処理をもって生活環境を守ること」である
  • 廃棄物の適正処理と生活環境の保全に関し多くの通達が出ている
  • 落ち葉や木片は堆肥などに循環利用する責務がある
  • 循環利用できないものは市町村の指示に従い適正処理する責務がある
  • 多くのたき火は庭の廃棄物を安易に焼却処分する身勝手な行為である
  • バイオマス燃焼により有害物質が発生し健康被害が出る
  • 「軽微な燃焼行為」とは、周辺の生活環境に支障がないものをいう
  • 田舎であっても生活環境に支障が出ない焚き火を行うことは不可能である
  • 日本国憲法第25条では健康で文化的な最低限度の生活を営む権利が保障されている
  • SDGsにより、誰一人取り残さないことが誓われている。

などを考慮し、

 

「明かりや暖をとるためなどに薪を燃やす行為、焼き芋大会等の落ち葉焚き、キャンプファイヤーなど」が焼却禁止の例外として認められ、日常的に庭の雑草や落葉を焼却処分する行為は例外に該当しない

 

と解釈するのが妥当です。

 

みんなで力を合わせ、熊手で掻いて落ち葉を集め、地元の農家さんにプレゼント。落ち葉は、おいしい野菜づくりのための堆肥となるのです。カサカサシャカシャカたくさん集めたあとは、焼き芋に、焼きおにぎり、焼きマシュマロ、それに地元の方の手づくりけんちん汁で大満足のお昼ご飯!お母さんも子どもたちも、よく働き、よく食べました〜!

(写真と記事:NPO法人 森のライフスタル研究所より引用)

 

例外のたき火と違法な焼却処分は法目的に照らせば容易に区別できます。

 

 

  

 

  

 

  


 

引用元 全文紹介

法解釈とはどのようなものか

1 ここまでの復習
 ここでもう一度,これまで学習した内容を確認しましょう。
 法学を学ぶというのは,事例問題を解くことができるようになることであり,事例問題を処理するプログラムを頭の中に作り上げていくことでした。
 ところが,プログラムとなるべき法規範は法律の条文を読んでもはっきりしないことがあり,条文の解釈を行って法規範を明確化することが必要不可欠でした。これを法解釈と呼び,法学というのは法解釈学のことだ,ということでした。

2 法解釈とはどのようなものか
 今回は,この「法解釈」についてお話しします。
 法解釈については哲学的な論争もあります。たとえば「法解釈とは何ぞや」「法解釈とは科学か」「法解釈とは価値判断か」といった問題です。しかし,これまでと同じく,これら哲学的論争には深入りしません。
 ここでは法解釈の具体的な方法についてお話しすることにします。

3 法解釈はそれぞれの法律で異なる
 とはいえ,抽象的に法解釈のお話をしてもわかりにくいだろうと思います。実際にいろいろな法律の条文を解釈していく中で,法解釈の方法は身についていくというところがあります。習うより慣れろというわけです。
 また,それぞれの法律によって,法解釈には違いがあります。憲法,民法,刑法のそれぞれについて,法解釈の方法は異なります。法律の目的が異なることから,法解釈も異なってくるのです。
 ですので,まずはここで,ざっとした形で最低限のところをお話しすることにして,あとはそれぞれの法律を学習していく中で身につけていっていただくことにします。

4 事例問題
 抽象論にならないために,具体的な事例問題を検討していきましょう。

<事例1>
 公園の立て看板に「車は立ち入るべからず」と書いてありました。
 では,車椅子は公園に入ってもよいでしょうか?乳母車はどうでしょうか?

 これは星野先生の『法学入門』などに出てくる有名な事例です。教科書では「車馬」となっていましたけれど,車馬ではえらく時代を感じさせますので,ここは現代に合わせて単に「車」にしました。
 要件→効果という観点からみると,「車は立ち入るべからず」という文言からは「車」→「公園への立ち入り禁止」という構造が見てとれます。問題は,「車」という要件の部分ですね。「車」に「車椅子」や「乳母車」は該当するのでしょうか?

5 立て看板の文言からすると
 立て看板には「車」としか書いておらず,車椅子や乳母車については明確に書いてあるわけではありません。立て看板の文字だけでは,法的三段論法の大前提となる法規範がはっきりしないわけです。
 そこで,解釈をすることによって明確化し,法規範を導くことになります。「車」という文言をどう解釈するかという問題です。

6 法解釈の方法
 法解釈にはいろいろな方法があります。団藤重光先生の格調高い名著『法学入門』『法学の基礎』によると,法解釈の方法として以下のものが紹介されています。
 ①文理解釈
 ②拡張解釈と縮小解釈
 ③類推解釈と反対解釈
 まずは,この3つを押さえましょう。

7 文理解釈
 「文理解釈」というのは,条文の文字をそのまま素直に読んで意味をつかもうという解釈です。国語辞書を引くようなイメージです。
 立て看板に書いてある「車」という文字は,素直に読めば自動車のことだろうと考えられます。したがって,文理解釈によれば「自動車は立ち入ってはいけない」という法規範が導かれることになるでしょう
 「文理解釈」などと仰々しい名前がついていますけれど,普通に読んだだけですので何も難しいことはありません。そして,条文解釈においても,まずはこの文理解釈が出発点になります。つまり,条文を素直に読むことから始まります。なぜかというと,その条文を読んだ一般の人々が普通に理解するだろうというように解釈しないと,一般の人々がどのように行動したらよいかがわからないからです。
 実際には,この文理解釈で話が終わることも多いです。条文の文言を素直に読んで終わるに越したことはありません。

8 文理解釈の限界
 しかし,素直に読むといっても,言葉は幾通りもの読み方ができることが多いので,どの意味なのかはっきりしないことがあります。
 「車」という言葉を辞書でひくと,「現代では自動車のこと」と書いてあるのですが,他方で「車輪を回転させて進むようにしたもの」とも書いてあり,そうすると「車椅子」も「乳母車」も該当しそうです。文理解釈ではどちらとも読めてしまい,どちらなのかの結論を出すことができないのです。
 また,日本の法律は,既にお話ししたように外国からの輸入品であり,明治時代に翻訳されて新たに造られた言葉が多用されています。日常用語からかけ離れた特殊な法律用語がものすごく多いのです。素直に読むといっても読みようがありません。
 その他,素直に読むと,いかにもおかしな結論になってしまう場合もあります。いくらなんでもおかしすぎるだろう,とうてい受け入れられないだろう,という場合があるのです。
 このように,文理解釈だけではうまくいかないことがあるのです。そこで,文理解釈ではない他の解釈も必要です。

9 拡張解釈と縮小解釈
 「拡張解釈」は,言葉の意味をいくらか広げて読もうという解釈です。反対に「縮小解釈」はいくらか狭めて読もうという解釈です。
 事例問題1では,「車」を広く,例えば自動車に限らず自転車や一輪車も含むと解釈することが拡張解釈になります。他方で,「車」は自動車の中でも四輪自動車のみ,例えば二輪車などは含まないという解釈は縮小解釈です。
 ただし,「いくらか」と書いたように,その言葉からまったくかけ離れた拡張や縮小はできません。「車」とまったく関係ないもの,例えば歩行者まで含むような解釈は拡張解釈とは言えません。明らかに「車」にあたる自動車さえも含まないような解釈は縮小解釈ではありません。

10 類推解釈と反対解釈
 「類推解釈」は,言葉の意味からは本来は当たらない,当たらないんだけれども,似たようなものなのだから同じ結論になるように考えよう,という解釈です。
 事例問題で言うと,立て看板には車がダメとしか書いていないけれども,ホバークラフトも車と似たようなものなのだから,ホバークラフトも立ち入り禁止だと解釈するような場合です。ここでは,ホバークラフトは「車」ではないという文理解釈が前提となっています。
 他方で,あえて条文に書いていないということは,その条文とは反対の結論に考えるべきだというのが「反対解釈」です。
 つまり,車しかダメと書いていないわけですから,自動車以外は何でも立ち入ってもよいと解釈するのが反対解釈です。ここでも,「車」は自動車であるという文理解釈が前提になっていますね。

余談:勿論解釈
 団藤先生の著書にはもう一つ「勿論解釈」という解釈も紹介されています。これは,たしかに条文には書いていない,書いていないけれどもあまりにも当然すぎてあえて書いていないだけなのだと解釈する方法です。
 例えば飛行機なんかは危険すぎて公園への立ち入りは当然禁止です。でも「飛行機は立ち入るべからず」とはいちいち書きませんよね。

11 いずれも解釈の技術
 注意していただきたいのは,これらはいずれも解釈の技術であって,どれが正しくてどれが間違っているというわけではないという点です。論理的にはいずれの解釈も可能です。条文の文言という制約はありますので,まったくの自由ではありませんけれども,その制約の範囲内であればいずれでも可能です。
 悪く言えば,いかようにも読めるということでもあります。もしかしたら,もう既にそのような感想をお持ちかもしれません。そういう面があるのは確かです。前回も最後のほうで少しお話ししたように,「法解釈に正解はない」と言われているのはこのことだと思います。
 先ほどの事例問題についても,いずれの解釈を使うこともできます。したがって,結論はどれでもありえます。論理的には。

12 どのようにしてどの解釈を選ぶのか
 問題はその次です。これらの解釈の中から,どれを選べばよいのでしょうか。どのようにして選んだらよいのでしょうか。
 各自が好きなものをその場その場で適当に選んでよいというのでは,まさに「いかようにも読める」ということでしかなく,学問ではありません。どの解釈をどのような基準で選択すればよいのかが問題です。
 論理的にはどの解釈もありうるわけですから,条文の文言といくら睨めっこしていても結論は出てきません。そうすると,どの解釈を選ぶかという採用基準は,条文の文言以外のところから持ってくるしかない,ということになります。

13 形式的理由と実質的理由
 ある解釈において,条文の文言を根拠とする場合を「形式的理由」,条文の文言以外を根拠とする場合を「実質的理由」と言います。
 形式的理由だけでは結論が出ませんので,実質的理由が不可欠です。
 しかし,形式的理由も大切です。先ほど申し上げたように,条文の文言を離れて自由勝手にしてしまうのでは,もはや解釈ではなく立法です。否定されたはずの,王様が横暴なことをするのと同じになってしまいます。

14 作った人の意思から考えればよい?
 さて,条文の文言以外のいったい何をより所にすればよいのでしょうか?
 例えば「法の解釈」ではなく「文学作品の解釈」であれば,作者の意思から考えるという方法があります。
 文学作品を解釈するというのは,作者がこの作品で何を言いたかったのかを探ることであり,その作者の発言やら他の作品やら日記やら人生やらから作者の言いたかったことを探ろうというわけです。
 しかし,作者が言いたかったことはすべてその作品に言い尽くされているのであり,したがってそれ以上に作者の意図を探ることなどは意味がなく,むしろ読者が自由自在に解釈して読むべきだ,ということも言えるでしょう。
 ・・・ええと,話がそれていますね。文学作品の解釈については,詳しくは石原千秋先生の著書などをお読みください。

15 立法者意思
 法の解釈においても,その法律を作った人すなわち立法者がどういうことを考えていたのかを探ってみるということは,一理あります。というのも,立法者は何らかの政策を実現したいからこそ,その法律を作ったわけです。何らの意図もなく法律を作るはずがありません。
 したがって,条文の文言以外のものとして,立法者の意思というものは一つの有力な判断材料になります。
 ちなみに立法者とは誰かというと,現在の日本では,憲法41条により立法権を司っている国会です。

16 立法者意思も決定的ではない
 しかし,立法してから時間が経過しているという場合には,立法者が想像もしなかった問題が発生しているかもしれません。社会は急激に変化していますし,科学技術も日々進歩していますので,大いにありうる話です。そのような問題については,立法者の意思は参考になりません。
 また,立法者の意思が必ずしも明確でない場合もあります。細かい問題が生じたときには,そこまで立法者は当時考えていなかったということもあるでしょう。
 よって,立法者の意思で決めようというのは,有力な方法ではあるけれども,決定的な方法ではないのです。

17 目的論的解釈
 そこで,そもそもその法律はどのような目的を達成しようとしているのか,どのような趣旨なのかという観点から考えようという方法が妥当だとされています。これを「目的論的解釈」と言います。
 つまり,その法律はそもそもこういう目的を達成するためのものだ,そうであれば,その法律を解釈するにあたっても,その目的達成に沿う内容になるように解釈すべきだ,ということです。

18 立法者意思と目的論的解釈の違い
 目的論的解釈は,先ほどの立法者意思から考えるという解釈と同じように思えるかもしれません。しかし,その法律が制定された時点での立法者意思で考えるのか,それとも現在の時点で考えるのかという点が違うのです。
 法律というのは,いったん制定された以上は,もはや立法者の手を離れます。生きた社会に適用されることになると,先ほどもお話ししたように立法者が思いもしなかった事態が生じたり,不都合な結論が出てしまうことが判明してきたりします。
 そこで,現在の時点において,あらためてその法律が達成しようとしている目的を検討し直し,その目的達成に沿うように合理的に解釈するということになるのです。したがって,必ずしも立法者意思にはとらわれません。

19 趣旨からの解釈
 目的論的解釈は,「趣旨からの解釈」とも言います。
 法学を学習していると,「この条文の趣旨はこれこれである。したがって,この条文のこの文言は,これこれと解釈すべきである」というような文章が,きっとたくさん出てくることでしょう。
 趣旨からの解釈が,法解釈の基本です。先ほど申し上げた解釈技術のうちどれを選ぶかは,その条文の趣旨から検討して決定するということになります。

20 趣旨からの解釈を行うためには
 それでは,どのように趣旨からの解釈を行えばよいのでしょうか?
 既に申し上げたように,とりあえず,その法律の目的ないし趣旨は何なのかを検討することになります。
 ただ,これが簡単ではありません。
 そもそも趣旨をどのようにしてとらえるのかが難問の場合があります。その法律が制定された歴史的経緯を探求したり,現在においてどのような機能を果たしているのかを検討したりしなければなりません。深い研究が必要です。

21 法律はバランスを考えている
 また,法律の目的ないし趣旨が,一つの方向だけの単純なものではないことも多いのです。社会は非常に複雑で,あちらを立てればこちらが立たずです。法律によってある政策を達成しようとすれば,各方面に影響が生じます。よって,高度の政策的判断によりバランスをとっているのです。
 例えば,著作権法について見てみましょう。著作権法の第1条には,法の目的が書いてあります。この条文によれば,著作権法の目的は「文化の発展」であることは明らかです。
 そのためには著作者の権利を保護すれば,より積極的な著作活動をすることになるだろうということで,「著作者の権利の保護を図る」ことで文化の発展を促そうとしているわけです。
 ところが,「文化的所産の公正な利用に留意しつつ」という一言がのっています。著作物も人々に利用してもらわないと何の意味もないわけですから,著作者の権利を保護しすぎて人々が利用できなくなってしまっては本末転倒です。
 そういうわけで,著作権法は,著作権の保護だけでなく利用者の保護も図っており,両者のバランスをとろうという法律だと言えます。

22 解釈においてもバランスを考えなければならない
 法律がこのようにバランスを考慮して作られている場合には,その解釈にあたっても当然,バランスを考えなければなりません。
 ある解釈を採用することでどのような利益が守られるのか,他方でどんな利益が損なわれるのかをよく吟味する必要があります。反対側の利益への配慮は必要不可欠です。一面的な議論ではまったく説得力がありません。解釈において,反対利益への配慮を忘れないようにしましょう。
 このようにバランスを考えるというのは,民法をはじめとする私法の分野において顕著です。具体的なことはあらためて民法入門で学習しましょう。

23 結論の妥当性や解釈の論理性も必要
 その他,その解釈を採用することによって導かれる結論が妥当かどうか,あまりにも突拍子もない結論ではないか,類似事例と大きな差が生じすぎてはいないかといったところも問われます。結論の妥当性です。
 さらに,その他の条文解釈と整合しているか,行き当たりばったりの解釈になっていないかというところも問われます。解釈の論理性です。
 法解釈にあたっては他にもいろいろな考慮要素があるようです。しかもそれぞれの法で異なっていたりします。抽象的に法解釈を論ずることは難しいので,これくらいにしておきます。あとは実際に法学を学習する中で身につけていきましょう。

24 法解釈の学習方法
 多少なりとも,法解釈の難しさが伝わったでしょうか。
 しかし,前回お話ししたように,法学を学習するのであれば,既に判例や学説が行っている解釈を学べば十分です。ゼロから歴史的経緯等を研究する必要はありません。
 ただし,判例や学説が,なぜそのような解釈を採用したのか,条文の趣旨をどのようにとらえているのか,どのような利益に配慮しているのか等について,きちんと理解するようにしましょう。
 また,そもそも大前提として,なぜその解釈が問題となっているのかも忘れないで理解しておきましょう。条文の文言が不明確だから等の理由からでしたよね。どのような理由で解釈問題が生じているのかの理解も大切です。

25 ところで事例問題1で考えると
 事例問題1にもどり,趣旨からの解釈をしてみましょう。
 立て看板の規定の趣旨がどのようなものなのかは,その立て看板を立てた人の意思を考えてみる必要があります。どのような経緯で規定されたのかも重要な資料です。また,現在どのような機能を果たしているのかは,その公園がどのような状況なのか,人々にどのように利用されているのかを調査する必要があるでしょう。
 しかし,そのような資料はなく,問題文にも記載されていませんので,ここは推測するほかありません。
 そうすると,おそらく「車が公園に入ってくると,公園で遊んでいる子ども達に危険で仕方ない,だから立ち入りを禁止するのだ」ということなのではないかなあと思われます。そうであれば,「子ども達の安全を守る」という目的に照らすと,子ども達にとって危険なものはなるべく立ち入りを禁止したいところです。できる限り「車」は広く解釈したほうが子ども達の安全は守れそうですから,縮小解釈よりは拡張解釈が妥当でしょう。
 ただ,あまり広く解釈すると,車椅子や乳母車もダメなのかという問題も出てきます。子ども達に危害を生じるおそれはありませんので,これらは含まないという解釈になりそうです。

26 事例問題1における反対利益への配慮
 さらに類推解釈までするかというと・・・どうなんでしょうね。
 そして,広く解釈すればするほど,立ち入れなくなる「車」が増えていくわけです。制約されてしまう側への配慮,すなわち反対利益への配慮が不可欠です。
 自動車ならあえて公園の中を走る必要はなく,外の道路を走ればいいように思えます。公園を走らないといけない特別の事情があれば別かもしれませんが・・・ちょっと思いつきません。
 自動車以外の車についても,拡張解釈して「車」に含むとするのであれば,同じようにフォローを考えておく必要があります。類推解釈する場合も同様です。
 そもそも「幼い子どもを守るためなのだから,車の利用者は,多少の不便は我慢しないと仕方ないよね」とも思えます。

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コメント: 2
  • #1

    るるる (金曜日, 15 5月 2020 15:49)

    法解釈と言えばコロナ感染者が
    「俺はコロナだ!」と言って人に唾吐いて
    他者に感染させた事で傷害罪で訴えられる
    なんて事例が発生してる様です。

    さて、煙や臭いによって喘息発作や鬱になる様な頭痛を引き起こし
    健康障害を訴えてる人が居ると<認知>してるにも関わらず
    「自分達は何も悪い事はしていない」
    「嫌なら窓を閉めて我慢しろ」
    とまで言い放ち、野焼きをし続けてる方々

    先に述べたコロナ感染者と同じ事やってませんか?
    それとも喘息による呼吸困難や誤嚥で死人が出ても知らぬ存ぜぬですか?

  • #2

    あのね (金曜日, 22 5月 2020 21:22)

    個人ではその日その時間だけの軽微な焚火だと思ってても、多くの個人が時間を変え火を変えでやってれば毎日何時間もに成るの。
    早朝から昼、夕方までどこからで焼いて、風が無い日は散らないから焼き終わっても一日中薄ら臭い。
    大した臭いじゃない?お前が敏感なだけ?
    タバコ吸ってる方や臭いのキツイ柔軟剤や香水付けてる方々皆さんもそうおっしゃいます。
    逆。貴方の鼻が鈍感なだけ。